
インドネシアで長く仕事をしていると、一つの疑問を抱くようになった。
「毎日礼拝を欠かさず、ラマダンも厳格に守る人が、なぜ横領や不正をしてしまうのだろう」
宗教が生活に深く根付いている国だからこそ、私には不思議だった。
そこで、イスラム教と不正について、自分なりに調べてみた。
すると、当たり前のことではあるが、イスラム教は不正を決して認めていないことが分かった。
むしろ、正直であること、誠実であること、約束を守ること、他人の財産を不当に奪わないことを重視している。
つまり、宗教の教えと不正は、本来矛盾している。
では、なぜ不正は起きるのだろう。
考えていくうちに、私はそれまで自分が経験してきた不正事件との共通点に気づいた。
不正を説明するものは、宗教というよりも、人間の心理なのではないか。
不正の世界には、「不正のトライアングル」という有名な考え方がある。
動機:やる理由。
機会:やれる状況。
正当化:自分を納得させる理屈。
この三つが重なると、不正が起きる可能性が高まる。
これは、宗教の違いとは関係ない。
日本でも、横領、粉飾決算、贈収賄は起きている。
宗教を熱心に信じているから不正をしないわけでもなければ、道徳や倫理観を大切にしているから不正をしないわけでもない。
なぜならば、人間は、自分の行為を正当化する理由を作ることができるからである。
「会社から十分に評価されていない」
「みんなやっている」
「少しくらいなら問題ない」
「家族のためだから仕方がない」
こうした理由によって、自分の中で不正への抵抗感を弱めてしまうことがある。
私はインドネシアで多くの不正と向き合う中で、宗教と不正は分けて考えた方がよいと思うようになった。
どの宗教を信じていても、あるいは宗教を持っていなくても、人は置かれた環境によって判断を誤ることがある。
だからこそ、企業には内部統制が必要なのである。
内部統制は、人を疑うためにあるのではない。
善良な人が、誤った判断をしなくても済む環境をつくるためにある。
それが、私がインドネシアで不正と向き合う中でたどり着いた結論である。
※ イスラム教には「ザカート」という教えがある。一定以上の財産を持つ者が、その一部を貧しい人々などに施す宗教上の義務である。
私はインドネシアで働く中で、「この考え方が、不正の正当化につながることはないのだろうか」と考えたことがあった。
しかし、調べてみても、そのような因果関係を示す確かな根拠は見つからなかった。
むしろ、ザカートは正当な方法で富を分かち合うための制度であり、不正を認める教えではない。
やはり、不正を生むのは宗教そのものではなく、人間が自分に都合のよい理由を作ってしまう「正当化」の心理なのだろう。