
【購買パススルースキーム】
約2年間、私は工場移転プロジェクトに追われる日々を送っていた。
今振り返っても、できれば二度と経験したくないと思うほど重いプロジェクトだった。
移転候補地の選定から資金調達、行政対応、設備レイアウトの設計、機械の移設、顧客による製品承認の再取得、人員整理、労働組合との交渉……。
工場を一つ移転するということは、会社そのものをもう一度作り直すような作業である。
毎日深夜まで働き、休日もほとんどなかった。
経営陣も現場も、とにかく、
「工場を止めない」
ことだけを考えて走り続けていた。
しかし、今になって思う。
会社が忙しい時ほど、不正を働く者にとっては大きな機会になるのである。
工場の移転期間中は、一時的に旧工場と新工場を同時に稼働させる必要があった。
当然、物流費も、人件費も、設備費も増加する。
通常であれば異常値として気づける数字も、
「移転期間だから」
という一言で説明がついてしまう。
これまで頼りにしてきた数字の分析にも、多くのノイズが入り始めていた。
異常なのは、移転の影響なのか。
それとも、別の理由があるのか。
その時点では、分からなかった。
新工場が本格稼働してしばらく経っても、利益率は私が描いていた姿にならなかった。
「何かがおかしい」
その違和感だけは消えなかった。
私は、新工場への移転が成功だったことを数字で証明したかった。
だから、予算と実績の差を一つひとつ追いかけた。
すると、いくつかの購入品だけが異常に値上がりしていることに気付いた。
しかも、それらはすべて同じ仕入先から購入していた。
「なぜ、この会社から買うものだけ高くなっているのだろう」
調べてみることにした。
すると、驚くべき事実が分かった。
メンテナンス部門のマネージャーと購買担当者が結託し、自分たちで会社を設立していたのである。
仕組みは単純だった。
本来の仕入先から商品を購入する。
それを一度、自分たちの会社へ通す。
そこで利益を上乗せする。
そして、当社へ販売する。
商品そのものは、本物である。
納品もされている。
だから、一見すると普通の取引に見える。
しかし、その間に不要な会社が一社入り、会社のお金がそこへ流れていたのである。
いわゆる「購買パススルースキーム」だった。
「なぜ、こんな会社が仕入先として登録されたのか」
理由を追っていくと、工場移転に行き着いた。
工場移転に伴い、新しい地域でサプライヤーを探す必要が生じていた。
本来であれば、新しいサプライヤーを登録する際には十分な確認を行う。
しかし、当時は何よりも「工場を止めないこと」が優先されていた。
「急いでいる」
「今だけだから」
「移転が終わったら確認しよう」
そんな例外が、少しずつ増えていた。
そして、その隙を突かれたのである。
私は、不正そのもの以上に悲しかったことがある。
会社全体が、昼夜を問わず工場移転の成功に向けて努力している。
その最中に、
「今なら見つからない」
そう考えて不正を計画し、実行した社員がいたという事実だった。
もちろん、不正を行った本人たちに責任がある。
しかし一方で、会社にも振り返るべき点があった。
「忙しいから仕方がない」
という理由で、確認を甘くしてしまったことである。
不正は、会社が落ち着くまで待ってはくれない。
むしろ、みんなの目が別のところへ向いている時に、入り込んでくる。
この事件以来、私は逆に考えるようになった。
忙しい時ほど、確認する。
「急いでいる」
「今だけだから」
そんな時こそ、例外をそのままにしない。
会社が大きく動いている時ほど、内部統制を緩めてはいけないのである。
■ この事件から学べること
会社が忙しい時ほど、不正は静かに動き出す。だからこそ、忙しい時ほど、確認する。